岐阜県は日本のほぼ中央に位置している県で、県庁所在地は岐阜市になります。県北部の飛騨地方は、乗鞍岳(のりくらだけ)や御嶽山(おんたけさん)など標高3000メートル級の山々が連なる山岳地帯。一方、県南部の美濃地方には肥沃な土壌の濃尾平野(のうびへいや)が広がり、木曽三川(きそさんせん)と呼ばれる木曽川、長良川(ながらがわ)、揖斐川(いびがわ)が流れます。長良川中流域は「日本の名水百選」にも選出されています。
このように豊かな自然に恵まれた岐阜県は、地域の特性に応じてさまざまな農産物が作られています。高温多湿な濃尾平野は稲作が盛ん。ひんやりとして涼しい気候の飛騨地方では、トマトやホウレンソウといった野菜の栽培が行なわれています。また岐阜県のヒノキの生産量は国内有数で、標高1500メートル前後の飛騨高地や県北西部の両白山地(りょうはくさんち)では古くから林業が発達。切って運び出した木を使った木工品の生産も盛んに行なわれています。金属加工やプラスチック製品など製造業が県全体の産業で占める割合が高いのも特徴。窯業が盛んな東濃(とうのう)地方で作られる美濃焼は、全国の陶磁器生産量の50パーセント以上のシェアを占めています。
城下町時代の姿が残る町並みから「飛騨の小京都」と称される飛騨高山や、ユネスコの世界遺産に登録されている庄川流域の白川郷などは観光地として人気。近年は国内のみならず、海外からの観光客も増えています。
「岐阜」の地名の由来には諸説あります。中でも有力なのは、戦国時代に稲葉城(現在の岐阜城)を天下統一の拠点とした織田信長が、禅僧の沢彦宗恩(たくげんそうおん)が提案した「岐山・岐陽・岐阜」の三つの中から選んだという説です。専門家の間では、信長は古代中国の王の故事にちなんで岐阜と命名したと見られています。
現在の岐阜県がある場所は、4世紀中頃から大和朝廷の勢力下にありました。その後、大化2年に行なわれた政治的改革、大化の改新によって美濃国と飛騨国が成立。鎌倉時代になると、源氏氏族の京極氏が飛騨国の、土岐氏が美濃国の守護をそれぞれ務め、治安維持にあたりました。戦国時代に入り、土岐氏に代わって斎藤氏が一時的に美濃国を統治。さらにその斎藤氏を織田信長が攻め、美濃国を配下に置くようになりました。慶長5年には美濃国で徳川家康と石田三成による関ヶ原の戦いが勃発。激闘の末、家康率いる東軍が勝利を収めました。江戸時代に入ると、徳川幕府は美濃国に隣接する尾張藩に大規模な名古屋城を築城。美濃国から敵対勢力があらわれないよう、美濃を小藩に分割しました。一方、飛騨国は幕府が直接支配していましたが、やがて高山に詰め所が設置され、飛騨代官の手によって統治されるようになりました。その後、明治4年の廃藩置県によって美濃は岐阜県に。同じく廃藩置県で飛騨は高山県となり、信濃の筑摩県に合併された後、明治9年に岐阜県に組み入れられ、現在の県域となりました。
県庁所在地である岐阜市を中心とするエリア。鎌倉時代の初期に金華山(きんかざん)の山頂に築城された岐阜城は、戦国時代に織田信長の居城となった城です。現在ある天守閣は昭和31年に再建されたもので、金華山一帯が「岐阜城跡」として国史跡に指定されています。毎年5月11日から10月15日まで長良川で行なわれる「ぎふ長良川鵜飼」は1300年の歴史を持ち、松尾芭蕉ら多くの文化人に愛された伝統行事。県立養老公園内にある養老の滝は「日本の滝百選」および「名水百選」に選ばれており、桜や紅葉の名所としても有名。春にはおよそ3000本の桜が咲き、秋にはモミジやイチョウなどが遊歩道を彩ります。
全国の市町村の中で最大の面積を誇る高山市は、古都の面影を感じさせるその町並みから「飛騨の小京都」と称されています。江戸時代に建てられた屋敷が建ち並ぶ中心市街地は「古い町並」と呼ばれ、昭和54年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。平成7年に合掌造り集落が世界遺産として登録された白川郷は、毎年海外からも多くの観光客が訪れる国内有数の観光スポット。その合掌造り集落から車で約15分の場所にある平瀬温泉は、昔から「子宝の湯」として愛されてきた温泉地です。雄大な自然の中で温泉を楽しめる場所として人気を集めています。
下呂温泉は、兵庫県の有馬温泉、群馬県の草津温泉とともに日本三名泉に数えられる温泉郷。飛騨川沿いにおよそ50軒の温泉宿が建ち並び、近くには4つの滝がある横谷峡(よこたにきょう)や、県指定の天然記念物である巌立峡(がんだてきょう)など自然景観に恵まれたスポットが多数あります。
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