三重県は紀伊半島の東側に位置する近畿地方の県です。県庁所在市は津市となっています。県域は近畿東端をなぞる細長い形となっており、平野部・湾岸部・山岳部といった多様な地形を有しています。山沿いの地域では豊富な自然を活かした農業が盛んで、茶・米・みかんなどの生産が活発に行われています。海沿いの地域では漁業が行われており、漁船による漁だけでなく、海女による素潜り漁や真珠の養殖なども行われています。さらに北勢や中勢の平野部では工業が盛んで、特に北勢に位置する四日市市は中京工業地帯の一部を担っています。観光業では、世界遺産にも登録されている紀伊山地周辺の参拝ツアーをはじめとして、F1レースで有名な鈴鹿サーキットなども全国的に有名です。
由緒正しき神社が多いことも三重県の特徴です。京に近いことから歴史が古く、日本神話に由来する霊場や古い神社がいくつも存在します。中でも最も有名なものは伊勢神宮です。正式名称は「神宮」のみですが、一般的にはそこに地名が付き「伊勢神宮」と呼ばれます。伊勢神宮は日本の祖神として崇められている天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀っている神社で、内宮には三種の神器のひとつである八咫鏡(やたのかがみ)が保管されています。この八咫鏡はかつて明治天皇が天覧したという記録が残っていますが、それ以降は内宮の奥深くに奉置されており、現在でも一般の人が見ることはできません。まさに日本に伝わる秘宝中の秘宝と言えるでしょう。
明治以前の律令制下において三重県一帯は複数国に分かれていました。伊勢国・志摩国・伊賀国の全域、また紀伊国の一部が現在の三重県にあたります。三重県の歴史は観光と共にありました。天照大御神を祀る伊勢神宮は古くより皇族が訪れる聖地であり、また和歌山県にある熊野三山へと続く道(現:熊野古道)は巡礼の貴族達がたびたび通る道でした。戦国時代には大規模な一向一揆や戦乱がありましたが、江戸時代以降はそれも収まり、また「お伊勢参り」が流行したこともあり、伊勢国周辺は全国からの参拝客で大変栄えました。三重県は日本で最も由緒正しき観光地であると言えるでしょう。
三重県の北部。江戸以前は伊勢国北部にあたる地域です。四日市市を中心とする工業地帯があります。四日市市は近鉄四日市駅を中心に栄えており、四日市競輪場や四日市ドーム、霞ヶ浦第一野球場など大規模な施設も複数あります。観光地というよりも都市としての表情が強い土地と言えるでしょう。また、愛知県の名古屋市と隣接していることから、名古屋市との交流が盛んです。
三重県の中部。江戸以前の伊勢国中部に相当します。県庁所在地である津市を含んでおり、このことから県政の中心地となっています。北勢と同様、主要産業は商工業です。90年代には中心商店街の衰退が懸念されましたが、津駅前の再開発、高層型の複合ビルとして建設されたアスト津により再び活気を取り戻しました。青山高原にある発電用風車群、青山高原ウインドファームは本州最大級の風力発電設備で、観光地としても有名です。
三重県の南部。江戸以前は志摩国、および伊勢国南部でした。伊勢神宮がある伊勢市はこの地域に含まれます。伊勢神宮の他に、二見浦の夫婦岩が全国的に有名です。また二見浦海水浴場は日本初の公認海水浴場で、大正天皇が幼少時に水泳の訓練をしたというエピソードがあります。皇族用の宿泊施設として作られた賓日館という建物もあり、こちらも現在では観光スポットとして一般公開されています。
上野盆地の一帯で、江戸以前の旧伊賀国に相当します。こちらは京阪神経済圏との結び付きが強く、奈良県・滋賀県・京都府・大阪府との交流が盛んです。観光名所としては伊賀上野城や忍者屋敷などがあります。日本人観光客だけでなく、ニンジャ好きの外人観光客にも大変人気のスポットです。また江戸時代の俳人である松尾芭蕉の生誕地としても知られ、松尾芭蕉にまつわる観光スポットも多数存在します。
名の通り、東紀州の一帯を指し、江戸時代以前の紀伊国東部に相当します。熊野や牟婁(むろ)とも呼ばれ、熊野古道のうち伊勢路が通っています。この一帯はとても雨が多く、日本中でもトップクラスの降雨量を誇ります。観光名所は熊野古道が有名ですが、鬼ヶ城、七里御浜、布引の滝などもあります。また熊野市有馬には日本神話の女神イザナミが葬られたとされる花窟神社があり、古神道において重要な意味を持つ土地です。
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