奈良県は、近畿地方の中南部に位置する県で、県庁所在地は奈良市です。県北西部に位置する奈良盆地を除いて、県の大部分は近畿地方の最高峰である八経ヶ岳(はっきょうがたけ)や日本百名山の1つである大台ヶ原山(おおだいがはらやま)といった紀伊山地が占めます。47都道府県の中で、新幹線と空港がない唯一の県ですが、大阪府と京都府に隣接していることから県外に通勤・通学する人の数が多く、高度成長期のころからこの2府のベッドタウンとして発展してきました。多くの自治体が大阪都市圏内に含まれ、さまざまな物品も流入することなどから、都会と田舎の中間のような土地として、近年は奈良県に移り住む人が増加しています。人口の90パーセント近くが奈良盆地に集中していますが、県全体のおよそ3分の2を占める森林地帯である吉野地区の開発が進められています。
奈良県の産業の中心は観光業です。その一番の理由は、律令国であった大和国の全域を占めることから、世界遺産の「古都奈良の文化財」や世界最古の木造建築物群を含む法隆寺など、歴史的遺産が豊富であるためです。また記紀・万葉のふるさとでもあり、一年を通して、各地域の遺跡や神社仏閣、万葉のゆかりの地を訪れる人が後を絶ちません。さらに吉野地区には、世界遺産の大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)と熊野古道(くまのこどう)があり、桜の名所として全国的に有名な吉野山などとともに多くの観光客を集めています。そのほか、いちごや柿、スイカ、茶葉の産地としても日本有数で、県内の地名が付いた品種が全国に出荷されています。
縄文時代・弥生時代の遺跡が残っていることから、現在の奈良県にあたる地域は、有史以前より栄えていたと見られています。3世紀から4世紀頃にかけてこの地方の豪族が急速に勢力を拡大。彼らは周辺地域を威力で押さえつけて支配下に置き、後の日本国の土台となる大和朝廷を築きました。大和朝廷は現在の天皇家の祖にあたり、8世紀末に長岡京(現在の京都)に遷都するまでこの地域に都が置かれることになったのです。平安時代から戦国時代にかけては、奈良時代に栄えた仏教の6つの宗派、南都六宗が農民らを支配下に置き、大きな勢力を誇りました。戦国時代に入ると、筒井氏や越智氏らが小競り合いを続ける中、他国から松永久秀や木沢長政といった戦国大名が侵入。しかしいずれも絶対的な支配勢力にはならず、織田信長の手によって大和は概ね支配下に置かれ、次の豊臣秀吉の時代に平定されました。江戸時代には、幕府が奈良奉行や五條代官などを置いて直轄支配。明治4年には廃藩置県により奈良県が設置されますが、明治9年に堺県(明治14年に大阪府に編入)に組み入れられます。その後、明治20年に大阪府から分割され、現在の奈良県の形になりました。
世界最大級の木造建築である東大寺大仏殿や、日本を代表する古寺の法隆寺、神護景雲2年に創建された春日大社など歴史情緒が漂うエリアで、海外からも多くの観光客が訪れます。奈良市内には、日本有数の仏教美術専門の博物館である奈良国立博物館や、およそ2000点の浮世絵や染織などを展示している奈良県立美術館など、文化施設・資料館も点在。そのほか、芝生で覆われた標高342メートルの若草山も屈指の人気スポットで、山頂からは奈良盆地一帯を見渡すことができます。
歴史を物語る石造物が数多く残るエリア。飛鳥歴史公園内にある高松塚古墳は、7世紀末から8世紀初頭にかけて造られた終末期古墳。石室内の天井には星座、周囲の壁には男女の群像が鮮やかな色彩で描かれており、訪れた人の目を奪います。岡山県の松山城、岐阜県の岩村城とともに日本三大山城の1つに数えられる高取城(たかとりじょう)は、南北朝時代に越智氏によって築かれた城。芙蓉の花が咲いたように美しい外観だったことから芙蓉城とも呼ばれました。現在は石垣だけが残っています。飛鳥時代の政治家、蘇我馬子の墓だと言われている石舞台古墳も人気の観光スポット。日本最大級の横穴式石室を持ち、国の特別史跡に指定されています。
桜の名所として全国的に有名な吉野山。名物のシロヤマザクラをはじめ、およそ200種3万本の桜が集まっており、4月初旬から下旬にかけて山一面に咲き誇ります。その吉野山のシンボルとも言えるのが、金峯山寺(きんぷせんじ)。古くから山岳信仰の聖地として、また霊場として栄えてきました。高さ約37メートルの本堂は、木造建築として東大寺大仏殿に次ぐ大きさを誇ります。県の最南端に位置する十津川村(とつかわむら)は、日本で5番目に大きな面積を持つ村。湯泉地温泉(とうせんじおんせん)、十津川温泉などの温泉のほか、日本有数のスケールを誇る吊り橋である谷瀬の吊り橋や、人力ロープウェイ「野猿(やえん)」も観光客の人気を集めています。
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