宮崎県は、九州の南東部に位置する県で、宮崎市が県庁所在地になります。面積は7735.99平方キロメートル、人口は約112万人。「太陽と緑の国」のキャッチフレーズの通り、気候がひじょうに温暖で平野部ではほとんど雪が降らず、プロ野球チームの春季キャンプ地や、一年を通して多数のゴルフ客が訪れる地域として知られます。一方、県北西部の九州山地はほぼ毎年積雪し、西臼杵郡五ヶ瀬町には、日本最南端の天然スキー場、五ヶ瀬ハイランドスキー場があります。
県民所得に占める第一次産業の比率が国内で最も高い宮崎県は、日本有数の農業県。かつてはもっぱら、平野での稲作と台地でのサツマイモ栽培が中心でした。しかし約半世紀前に、秋から夏にかけて襲来する台風の被害を回避するため、超早場米への切り替えが行なわれたのです。それによって農業構造が大きく変化。以降、徐々に衰退していったサツマイモ栽培に変わって、畜産が産業の柱となりました。現在でも肉牛、乳牛、鶏、豚のいずれもが国内屈指の生産量を誇ります。さらに近年は宮崎牛やマンゴーなどの農畜産物のブランド化に取り組み、全国的に人気を集めるようになっています。
観光では、海岸線と海中の美しさで知られる日南海岸国定公園や、数々の美しい渓谷を目にすることができる祖母傾国定公園など、雄大な自然景観に恵まれた自然公園が多いのが特長。また、高速道路や空港からのアクセスに便利な海岸に恵まれた宮崎県は、サーフィンをするのに好適な環境でもあります。毎年5月には国内の主要サーフィン大会が開催され、県外からも多くのサーファーが集まってきます。
県内に数あるパワースポットの中で特に人気が高いのが、天照大御神の天岩戸開きを伝える神社として有名な天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)。神社の入り口から徒歩10分ほどの場所には、八百万の神々が集まって相談したとされる強力なパワースポットと言われる天安河原があり、年間約20万人が訪れます。
宮城県の歴史は古く、約5万年前の中期旧石器時代あたりから人々が住み始めたとされています。7世紀後半に、現在の鹿児島県も含めた南九州一帯で日向国が成立。8世紀前半にはその日向国から薩摩国と大隅国の2国が分立し、この時に現在の宮崎県の国域がほぼ確定しました。平安時代には幾つもの氏族が大規模な荘園を背景に勢力を拡大し、その中から島津氏と伊東氏が勢力を二分するようになりました。戦国時代に入ると、島津氏が日向国全域を制圧したものの、豊臣秀吉の九州征伐を受けてその島津氏も降伏。江戸時代には延岡、高鍋、佐土原、飫肥の4藩や、幕府直轄領などが錯綜する統治形態がとられ、そのまま明治維新に至りました。明治4年の廃藩置県によって飫肥県、高鍋県、延岡県、佐土原県の4県が設置された後、同年の府県合併によって美々津県・都城県に再編。明治6年に両県が合併して宮崎県が成立しました。その3年後に鹿児島県に併合され、西南戦争の戦場となりましたが、鹿児島県会議員だった川越進らによる分県運動の結果、明治16年に現在の県域の宮崎県が再置されました。
日向市や高千穂町を中心とした県北部は、城下町として栄えた地域が多く、奥深い歴史を感じることができます。1200年以上の歴史を持つ高千穂神社は、高千穂郷八十八社の総社で、神社本殿および所蔵品である鉄造狛犬1対は、国の重要文化財に指定されています。 江戸末期から大正時代にかけて京阪神との交易の拠点になった港町・美々津には、現在も京風の家々が並んでおり、深い味わいのある街並みを楽しむことができます。また、雄大な自然を満喫することができるのもこのエリアの特長。阿蘇山の火山活動で噴出した溶岩流を五ヶ瀬川が浸食してできた高千穂峡は、県内屈指の人気スポットです。日向岬の先端に位置する馬ヶ背(うまがせ)の展望台からは、訪れると願いが叶うと伝えられる「クルスの海」が望め、多方面から観光客が訪れます。
豊かな自然の宝庫として知られる西側の地域。日本で最初に国立公園指定を受けた霧島屋久国立公園の一部である「えびの高原」には、韓国岳(からくにだけ)や甑岳(こしきだけ)など大小さまざまな山々がすそ野を広げています。夏はキャンプやトレッキング、冬にはスケートと、一年を通じて大自然を体感でき、年間約80万人の観光客が訪れます。大滝、男滝、女滝という3つの滝から成る関之尾滝(せきのおのたき)は、「日本の滝100選」に選ばれている景勝地。滝から上流600メートル、幅40メートルにわたって広がる川床には、世界的にも珍しい数千個の円形の穴があり、国の天然記念物に指定されています。
風光明媚な自然や、史跡・文化財が目を惹くエリアです。宮崎市の南、日南海岸国定公園の日向灘に浮かぶ青島は、周囲1.5キロメートルほどの小さな島。島内には約27種の亜熱帯植物があり、4300本におよぶビロウ樹は「青島亜熱帯性植物群落」として国の特別天然記念物に指定されています。西都(さいと)市にある西都原古墳群は、国内有数の大古墳群。東京ドーム約230倍にあたる東西2.6キロメートル、南北4.2キロメートルの台地一帯に、300基以上もの古墳が点在しています。また、安土桃山時代から明治時代初頭まで城下町として栄えた日南市の飫肥(おび)には、現在も武家屋敷の街並みが残っています。
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